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ID-AL(アイディアル)
第1章「目的と理由」
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     5


「え?」
 オレは思わず、相手の顔を見返した。
 しゃがみこんだ男の顔は、少し見上げる形になるが、それでも目と鼻の先にある。
 肌や髪の毛の状態から分析するに、年齢は三十代前半、身長は一七八・三センチ、体重は八十・五キロ…。ほどよく体型を管理できている見た目だ。
「いいから、ついて来い」
 感情のない低い声で男はそう言った。
 ハッと我に返った瞬間、男は両腕を伸ばしてオレを押しのけた。
 あやうくバランスを崩しかける。体勢を元に戻した時、既にトールの身体は目の前になかった。足音が離れていくのが聞こえる。
 慌てて立ち上がり、足音の方に目を向けると、男がトールの身体を軽々と抱きかかえ、階段の方へ向かおうとしているのが見えた。
 連れ去られる……!?
「ちょっと……、」
 待てよ! と叫ぼうとして、オレは口をつぐんだ。
 仮に、この男の言っていることが本当で、トールを修理してもらえるのならありがたい。だから、ここであの男に反抗して、もしも彼が気を変えてしまったら、捕らえられてしまうことは目に見えている。ここは、確実に助かるという保証がなくても、男についていく方がいいかもしれない…。
 そうこうしているうちに、男は階段を上り始めようとしていた。駆け足で男の後ろにつく。
 階段を上り終えると、右手の扉に入った。昨日調べた、壁が全面強化ガラス張りの部屋だ。
 男は、トールの身体をソファに下ろした。
 オレは、気は抜けなかったが、手持ち無沙汰に入ってきた扉の前で立ち尽くしていた。
 男は、そんなオレに目もくれずに、デスクへ回った。デスクの上には、小型のプリンタが置いてある以外は、他に何もなかった。男が机の上の何かをいじる。途端に、視界の隅で何かが変化した。
 後ろのガラスの壁が、一瞬にして白く濁ったのだ。同時に、天井の照明が点る。
 振り返ると、さっきまで透明だったガラスが、他の三面の壁と同様に真っ白になっていた。もちろん、さっきまで見えていたはずの工場内の様子はまるっきり見えなくなっている。
 液晶ブラインドだ。
 読んで字のごとくで、電圧をかけると白く濁って光を遮る液晶の性質をそのまま利用したブラインドである。机の上に何もないことを考え合わせると、モニタとしても利用しているのかもしれない。
 そんなことを考えていると、背後でばさりと何かが落ちる音が聞こえた。
 思わずびくりと震えてしまう。
「それを着て待ってろ」
 男の声に、オレは振り向いて目を落とす。足許に、彼が着ているものと同じ作業着が落ちていた。投げてよこしたのだろう。
 しかしそれを見て、ようやくあることを思い出した。
 オレは、今まで何も着ていなかったのだ……。
 下着も、布切れすらも身につけていない。
 完全に裸だ。
 そのことに改めて気づいて、オレは一気に恥ずかしくなった。
 だが、今さら前を隠すのも気が引けるように感じて、代わりに作業着をさっと拾った。
「その格好じゃ、外に出られんからな」
 男はそう言って、デスクから離れ、赤面するオレを尻目に、部屋を出て行った。

 男が戻ってきたのは、きっかり四十五分後だった。
 それまでの間、オレはそわそわ落ち着かなかったものの、色々と情報を得ることができた。
 まず、男の名前はトグチ・マワル。徳口、周と書くらしい。デスクの引き出しに入っていた書類の記述から類推したものだ。
 三年前に二十九歳という異例の若さで、この半導体再生工場の工場長に就いたらしい。それより以前の経歴について推測できるような資料はなかった。
 徳口は、折りたたまれた段ボール箱を抱えて戻ってきた。
 裸のトールを、段ボール箱の中に入れて運び出すわけだ。
 徳口の手際のよさ、親切さに不審を抱かなかったわけではないが、信じられる限りは信じていようと思い、オレは徳口に従った。
 そうして、オレは初めて、ID-AL社ビルを離れ外の世界へ踏み出したのだった。
 工場を離れ数十メートルは、保安課に見つかるのではないか、いや、徳口の気が今にも変わって捕獲されてしまうのではないか、とびくびくしながら歩いていた。
 だが、数百メートル進み、角を曲がり、本社ビルが見えなくなって、オレはやっと安堵のため息を漏らすことができた。
 少なくとも、追っ手はいないのだろう。介護用アンドロイドメーカとして名高いID-ALが、自社の裏事業の証でもある愛玩用アンドロイドの外界への逃走を、そうやすやすと見逃すはずはないからだ。
 ようやく、周囲を見回す心の余裕が生まれた。
 青いプラスティックがまぶしい台車で、段ボール箱を運びながら歩く。広い歩道は真っ平らに舗装されてはいたが、箱の中のトールが傷つかないようにと、揺らさないよう慎重に台車を押した。
 前方を歩く徳口の更に前方から、次々と初めて見る景色が飛び込んでくる。
 白黒のコントラストが気持ちいいアスファルト、店頭に並べられた様々な種類の携帯情報機器、それを手に取る人々、通り過ぎる人々、背後から聞こえるクルマの微かな走行音。
「あの駅から、新宿へ向かう」
 徳口が指を差した先に、大きく『秋葉原』という文字が掲げられた建物があった。電車が停車し、人々が乗降するための場所だ。初めて目にするものだが、知識としては知っている。
 線路は高架式で、交差する形で駅舎がある。出口から、たくさんの人々が吸い込まれ、また吐き出されていた。
 その様子を見て、オレはふと寂しさを感じた。
 何故なら、それらの人々は、何かの目的を持ちながら行動しているからだ。
 だが、オレには具体的な目的などない。あのまま廃棄場内に留まって、壊されることが、死ぬことが怖かっただけだ。トールを巻き込んでまで生き延びて、オレは何をしたいんだろう……。
「切符を買うから、こっちに来い」
 気づくと、徳口が呼んでいた。
 慌てて徳口のそばへ向かう。
「ここに手を入れろ」
 見ると、タッチスクリーンの下に手のひら大の四角い穴が開いている。爪に、ICタグを書き込むのだ。
 言われたとおり穴に手を入れると、徳口はタッチスクリーンを操作して、オレの爪に情報を書き込んだ。切符代は徳口が払った。
「……ありがとう」
 まだ油断できない相手で、借りを作るのは嫌だったが、仕方がない。
 しかし、徳口の方はといえば、さっさと改札口の向こうへ行ってしまっていた。
 置いていかれては適わない。
 オレは台車を押して、徳口の元へ急いだ。

 灰色の街。
 それが、新宿の第一印象だった。
 色とりどりの看板や広告があったが、それらはいずれも壊れかけていたり、汚れたりしていた。時間の流れから置いてきぼりを食ったようだ。
 建物も、元は多少の色の違いがあっただろうに、今見る限りではどれもくすんだ灰色に染まっている。中には、窓ガラスが割れ、明らかに廃墟となっているビルもあった。ID-AL本社のあった秋葉原とは、まったく印象が異なる街である。
 徳口は、相変わらず黙り込んだまま前方を歩いていた。
 オレも、青い台車を押して彼の後についていく。
 十一月の風は冷たかった。
 作業着を着ているとはいえ、実質的には肌と外界を隔てているのは布一枚きりだったからだ。
 しかし、トールは隙間風の入る段ボール箱の中で、裸で入れられているのだ。
 彼自身が温度を感じていなくても、それはとても寒々しいとオレは感じた。
「ここだ」
 不意に、前方の徳口の声がした。
 立ち止まり、彼が視線で示す建物を見やる。
 淡いピンクのタイル張りの、比較的新しいビルだった。比較的、というのは、周囲の灰色のビルと比べて、という意味だ。劣化具合から、大体築四、五年だと分析する。窓にはちゃんとガラスが入っており、十階中半分程度の階の窓にはカーテンもついていた。
 それにしても、徳口の見た目には実に不似合いに可愛らしい色調の建物だ。
 オレはそう思って、内心くすりと笑った。
 徳口が歩き出したので、再び後に続く。
 エントランスを抜けると、すぐ左側の壁際に銀色のロッカのような箱が並んでいた。形状と個数から類推するに、ポストなのだろうと思う。つまり、ここはマンションなのだ。徳口の自宅なのだろうか。
 徳口とともにエレベータに乗り込み、八階へ上がる。
 エレベータの箱から出てすぐ左へ曲がり、ようやく徳口は立ち止まった。
 オレは少し距離を置いて待つ。
 徳口の前には、黒い扉がある。ドアの鍵を外しているようだった。物理的な音が五回、電子的な音が四回。この地域の状態を見れば、鍵は多いほどいいのだろう。
 やがて、徳口は扉を引いた。音もなく開いたドアの向こうに、彼は一旦消え、何かを手にしてもう一度外へ出てきた。ゴム製の三角柱をドアの隙間に挟む。トールを中に運び込むために、ストッパを噛ましたのだ。
「そのまま押して入って来い」
 中から徳口が言う。トールの入った箱を載せた台車を押し、そろそろと扉をくぐった。
 
     6


 もっと雑然としているかと想像していたが、予想外に部屋はすっきりと整頓されていた。
 入ってすぐフローリング敷きになっていて、少し進んだ先に明るい部屋が目に入る。ベッド、テレビ、棚、ソファ、その他の収納スペース、それからキッチンと間仕切りとドアがあった。
 トールを箱から出し、ベッドに寝かす。
 徳口は奥のキッチンで何やらごそごそとしている。
 オレは落ち着かない気持ちで、ベッドの脇に立ち尽くしていた。
 徳口が、何故か渋い顔をしながらキッチンから出てくる。
「悪いな、お前の飲めそうなもんがなかったから」
 そう言って、銀色に光る缶を差し出した。
 一瞬、身構えたが、缶表面の表記を見て気が抜ける。
「……ビール?」
「見たところ中学生くらいだろう?」
 オレの見た目を言っているのだろう。
 徳口が、差し出した缶を軽く振った。早く受け取れ、という意味だろう。
 缶を受け取る。十一月の寒気にさらされたばかりの手には、冷たすぎる。
 だが、中学生くらい、とは…。
 オレがアンドロイドだということに、気がついていないのだろうか?
 人間に見えたから、助けられたのかもしれない…。
 しかし、徳口は何も気にすることなく、缶を傾けた。
 オレは、缶に目を落とす。極端にゆがんだ自分の姿が、銀色の表面に映っていた。
「まだ、油断ならないか」
 徳口は、いつの間にか目の前のソファに座っていた。いつ移動したのだろう…。
 背中を向けた徳口の手元が動き、気体が噴出する音がした。二口、三口、ビールを飲み下していく。
「助けて頂いたことは、感謝しています。トールも、修理してくれるっておっしゃったし」
「トールっていうのか」
 徳口は振り返り、背後のベッドに横たわるトールを見る。
「ウォーターマークには、トールって……」
 そう言ってしまってから、ハッと口をつぐんだ。人間にはウォーターマークは読み取れない。
 まずい。オレがアンドロイドだということが、完全にバレてしまっただろうか。
「お前を助けたのは、人間だからじゃない。アンドロイドだってことは、最初から分かってるよ」
 オレの心を見透かしたような言葉に、驚いた。
 自慢じゃないが、自分の身体はかなり精巧に作られている。昔のロボットのように継ぎ目もなく人工皮膚も滑らかだし、内部の人工筋肉のおかげで動作や表情に不自然なところもないはずだ。
 もちろん、気づかれていない、と丸っきり信じていたわけでもなかったが。
「仕事柄、アンドロイドは何年も見てるんでね」
 その答えに少し納得し、しかし一番疑問だったことを口にしていた。
「何でオレを助けてくれたんですか……?」
 オレがもし人間だったら、もしくは、人間だと思われていたなら、助けられたことも多少の納得はいく。
 だが、オレのことをアンドロイドだと知った上で助けたのは何故だろうか。
 ID-AL社敷地内で隠れていた、裸の少年型アンドロイド二体。しかも一体は破損した上、動けない。徳口のとった行動は、明らかに職務上の違反行為だ。三年も工場長を勤めていれば、分かりきっていることだろう。それを、何故……。
「じゃあ、お前は何故、こいつを助けるんだ?」
 疑問の切り替えしに、オレは戸惑った。
 そうだ、オレは何故、トールを助けるんだろう。
 一人で死ぬのが怖かったから?
 脱出するなら、二人の方が気が楽だから?
 話相手がほしかったから?
 一人で生き抜くのが怖かったから?
 どれもぴたりと当てはまるようで、どれも的を射ているとは思えなかった。
 結局、
「……分からない」
 そう答えるしかなかった。
 最初に、廃棄場内でトールを見た時の、胸がざわめき立つような不安定感。
 それが、理由なのかもしれない。
 とにかく、トールを置いては行けなかったんだ。
「行動なんて、そんなもんだ。人に説明できるような理由なんて、ない」
 徳口の言葉に、何故かオレは、初めて安心感を覚えた。
 きっと、この安心感にも、理由なんてないのだろう。
「さあ、飲めよ。ぬるくなっちまうぞ」
 徳口に促されて缶を見ると、室温との差で結露した水が、汗のように滴っていた。

 ビールは冷たかったが、苦かった。
 幸い、オレはアルコール分解も消化もできる身体なので、味以外に関しては問題はない。
 徳口は、一旦奥の部屋へ引っ込み、ブラックジーンズとグレィのタンクトップに着替えてきた。それから、手際よく自分の分の食事を用意した。オレはソファのはす向かいの壁に寄りかかって立ち、食事中の徳口といくつか情報交換をした。
 まず、オレの名前「ショート」を伝えた。ウォーターマークの名前とは異なり、自分でつけ直した名前だ。本来の名前にはいい思い出がなかったから、トールに名乗る時に変えたのである。だが、その付加情報は伝えない。
 案の定、トールの名前と比較され、見た目とは正反対だな、と言われた。
 その反応が、ID-ALの回収ルート内でトールと笑った時の想像と同じで、オレは少し嬉しくなった。
 それから、徳口は、少し変なことで笑みを浮かべた。
 もしオレの名前が「ショータ」なら「そのまんま」なのに、と。
 これは意味が分からなかった。何のことかと質問をぶつけても、はぐらかされるばかり。しかも、この会話以降、何故か徳口はオレのことを「ショータ」と呼ぶようになってしまった。
 多少の不満を感じたものの、ニックネームだと考えれば愛着も湧くだろうか。
 
     7


 壁のコンセントから白いコードが延びている。それはうねうねと曲がりくねり、アンドロイド用のポッドに繋がっていた。
 アンドロイド用ポッドは、大きく分けて三つの種類がある。外面の製造・修繕関係、ソフトウェア関係、それから保存・観賞関係である。もちろん、それらすべての機能を兼ね備えたオールマイティなポッドもあるにはあるが、大抵大掛かりな周辺設備が必要になる。
 徳口の部屋の間仕切りの中にあったこのポッドは、規模から考えてソフトウェア関係のもののようだった。
 円筒を水平に倒した形で、奥行は二・五メートルもある。台座は三十センチメートルの厚さの台形の板で、円筒の両端と中央の三点に配されていた。台座のおかげで、円筒自体は床から二十センチメートルの位置にある。円筒は底の部分を除いてほぼ全面強化ガラス張りになっており、内側は丸見えだった。台座の真上に位置する、底の両端と中央には直径十五センチメートルの丸い切れ目が入っていた。
 食事を終えた徳口に検査をするから来いと言われ、連れてこられたのがこの部屋だった。トールはオレの次に検査すると言う。
「服を脱げ」
 徳口が突然口をきいたのでびっくりする。しかし、ポッドには衣服を着けたままでは入れない。オレは黙って従った。
 服を脱ぎ終え、顔を上げると、徳口が何かを腰に巻いていた。それを見て、今度は本当に驚いた。
 キャップを装着していたのだ。
 キャップというのは、元々はアンドロイドに対する命令をデータ通信でやりとりするための定義のことである。だが、現在では意を転じて、人間が直接、命令の意思をアンドロイドに対して通信するためのインタフェイス機器の総称になっていた。
 特に愛玩用アンドロイドに対して男性器を用いて使用者の命令を通信するためのコンドーム型のインタフェイス機器の俗称である。
 とにかく、オレは……、元マスタの記憶を呼び起こしてしまっていた。あいつから受けた数々の命令が頭をよぎり、頬がかっと熱くなった。
 人間、特にマスタから受ける命令は絶対的で、物理的に逆らうことなどできない。身体は勝手に動き、記憶として刻まれたが、何故か、揺ぎなく拒み続けた部分が、オレの中にあったのだ。
 それは、一体、何なのだろうか……。
 しかし、今は仕方がない。オレは頭を切り替えた。
 ポッドで検査を行うためには、アンドロイドに麻酔プログラムを入れなければならない。だが、見たところ、構造と容量的に、麻酔装置を組み込むスペースがあるとは思えなかった。
 しかもオレの接続子は、人間で言う口と肛門にしかない。麻酔を打つにはキャップを使うしかないのだ。
「やるよ」
 そう言って、徳口の足許にひざまずいた。
 キャップを装着した、徳口の萎えたそれをつかみ、口を開いて咥えた。柔らかい合成樹脂のキャップが、唾液にまみれて密着する。
 舌を動かしながら吸い上げるうちに、徳口のものが徐々に膨らみだした。硬度と太さを増し、口の中を支配する。
 それは結構大きくて、喉に突っかかり苦しくなって呻いた。そろそろ、キャップの接続素子が唾液に混ざる頃だろうか。オレは、ものを咥え込んだまま、上目遣いに徳口を見た。
 その瞬間、何かが視界を遮り、ついで極彩色の光が激しく点滅した。
 すべてのシステムが、強制的にスリープ状態に移行していく。
 時間に置いていかれる浮遊感、死ぬ時は、こんな感じなのだろうか。
 閉じていく視線の先で、何故か、徳口が苦しそうな顔をしていた……。

 不意に、誰かに呼ばれたような気がした。
 でも、本当に自分を呼んでいたのか、判断できない。
 曖昧に返事を返そうとして、口から出てきた声に戸惑った。
 自分の声であることは分かるのだが、何故だか幼い感じがする。
 背後で男の声がした。
 誰だろう。声の高さから言って、徳口ではないようだ。この声は、もう少し柔らかいし、高い。
 ID-ALの連中だろうか。
 オレは不審に思ったが、何故か身体が勝手に動いた。意図しないまま、背後を振り返ろうとしている。キャップの仕業だろうかと思ったが、不思議なことに口には何の違和感もなかった。
 後ろにいたのは、三十代くらいの男だった。
 徳口よりも少し背が高い。肌は血色が悪く、頬骨が出ているせいか、やつれて見える。背広を着ていたが、ネクタイは締めていなかった。
 男はしゃがみ込んで、オレの目線と自分の目線の高さを合わせた。
「今日は遅くなるから、頼んだぞ」
 男の声は、明るい調子に聞こえるものの、ちょっとした隙を突けば崩壊してしまいそうな、そんな不安定感を含んでいた。
 彼は、ぽんぽんとオレの頭をやさしく叩き、背中を向けて歩いていった。

 目を開くと、紺色の波が視界に広がっていた。
 いや、よく見ると、それは布、シーツ……。ベッドの上に横たわっていたのだ。
 何秒か、十何秒か、意識が定まらなかった。
 何で、こんなにぼんやりとしているのだろう……?
 そうだ、確か、麻酔をかけられたのだ……。
 キャップ経由で麻酔を入れられ、それから意識がなくなって……、検査をしたのだ。
 少しずつ思い出してきたが、それから先のことは何一つ覚えていなかった。
 それにしても、何故、ベッドに……。検査は終わったのだろうか……。オレが終わったのなら次は……
「トール」
 声に出した瞬間、はっきりと目覚めた。
 飛び起きて身体を触る。何も身につけていなかったが、すぐ脇に紺色の作業着が無造作に置かれていた。ベッドに横たわっていたのは、オレだけだった。
 急いで服を身につけながら、時間を確認する。
 十一時。検査を開始してから十五分しか経過していなかった。
 ベッドを降り、間仕切りになっているアコーディオンを開く。
 トールは……、いた。
 円筒状のゼリィに包まれるようにして、宙に浮いていた。いや、強化ガラスの筒状のポッドに満たされたゼリィに浮かぶ形で、仰向けに寝ていたのだ。
 頭部はまだ破損したままだったが、遠目でも安らかそうに見えた。その様子に、オレは一応ほっとため息をつく。
「起きたのか」
 作業をしている徳口の声に頷いて、オレはそちらに近づいた。
 ごくごく薄く黄色がかったゼリィに、軽く沈むようにして、裸のトールが浮かんでいた。
「これは、何を?」
「お前のOSは、まだ発売してないバージョンなんだ」
 徳口がキィボードを叩きながら答える。
「つまり、トールの身体では受け入れられない。
 たまたま受け入れたとしても、数時間で他のシステムに支障をきたして、ダウンだ」
 その説明に、一気に不安が募った。トールに、無理やりOSを流し込んではいけなかったのだ。しかし、あの時はああするより他に方法がなかった……。
「お前は、充電が切れたんだと思ったんだろう?
 でも、そうじゃなかったんだ。お前のALOS(アルオス)はバージョンR、トールは9だ。
 メジャのバージョンだけでも二段階も隔たりがあるから、発電システムのソフトウェアが起動できなくなっちまったんだな。
 OSさえ入れ直せば、後は勝手に発電開始するよ」
「ALOS持ってるのか!?」
 希望の光が見えた気がした。一気に、渦巻く不安の影が吹き飛ばされていく。
「今入れてるところだ」
 勢い込むオレに、穏やかに答える。
 オレは、安堵と嬉しさで胸が込み上げ、快哉を叫んだ。
 オレは徳口に抱きついていた。それに気づいて、恥ずかしくなり、ぱっと離れる。徳口は目を丸くして驚いていたが、その様子は自然で、彼を本気で信用してもいいだろうと思えた。
 後は、トールの顔を直せれば、ひとまず安心だ。そしてその後は……、その後は、どうするんだろう……
 いや、今考える必要はないだろう……
 と、物音がした。 
 徳口とオレは、瞬時に音の方向へ目を向ける。
 オレが開け放したアコーディオンのその向こう、ベッドの向こう側に、見知らぬ人物が立っていた。足許にはボストンバッグが落ちている。真っ白のぴったりとしたドレスを着、シルバの髪に何故か大きな茶色の羽根を数本挿していた。服装から判断するに、女性だろうか。
 あまりに突然の出来事に、オレは隠れることも逃げ出すこともできなかった。
 視線の先の人物が、信用できる存在なのか戦わなければならない存在なのか、徳口の表情から読み取ろうとした。おもむろに、徳口が呟く。
「いい加減にしろよ、ライテン……」
 その呟きを逃さないかのように、ライテンなる人物が第一声を発した。
「紹介してくださらない? そちらの可愛い男の子☆」
 
つづく…>>
wrote by MooPong
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