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ID-AL(アイディアル) 第2章「理由と経緯」 |
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1 男は、眼下に広がる光の点を見つめていた。 彼が立っている地点から、およそ百メートル下の地点を中心にして、光の点々がばらまかれている。まるで、クリスマスの飾りのようにきらびやかで騒がしい。 広がっているのは、夜の秋葉原。 地上の音は、彼の耳には届かない。届くのは、明滅する光とその軌跡だけだ。 その夜景と彼とを隔てているのは、強化ガラス一枚きりだった。だが、彼のいる部屋は極端に暗い。触らなければ、ガラスの存在など忘れてしまいそうである。 その暗さは、ガラスを隔てた外界と比べれば分かる。外の方が明るいため、窓の周辺だけがぼんやりと明るかった。 その時、男の後方で、扉が開く音がした。ついで、施錠される音。衣擦れの音が近づいてくるのが分かった。 しかし、彼は振り向かない。誰が来たのか、分かっていたからだ。いや、そもそもここに来る者は、自分以外に一人しかいない。 「ここにいらっしゃったのですね、会長」 滑らかな口調でナミが言った。 社長職を引退した彼の跡を、長女として引き継いでいる。もちろん、彼が命令したことだ。彼女は、彼に逆らえない。 「私は帰宅してもよろしいでしょうか」 ナミが尋ねる。 「ああ、かまわんよ。 しかし……、私の前では、いつものように気を遣う必要などない」 この言葉を、何度彼女に言い聞かせただろうかと、彼は思った。 「お気遣いありがとうございます。 ですが、業務が終了するまでは、気を抜くわけにはまいりません」 明瞭な答えだ。男はうなずく。 「ご指示を」 「本日の業務は終了だ。帰ってよい」 ナミがお辞儀したのが、気配で分かった。 やがて、来た時とは反対に、衣擦れの音が遠ざかっていく。 そして、扉が閉まった。 男は、再び、眼下の夜景に意識を戻した。 南よりのはるか前方に、灯りの空白がある。そこだけ、あたり一面真っ暗なのだ。しかもその周囲も、他の地域と比較すると明らかに灯りの密度が低い。まるで、その付近一帯だけが別の国のようだ。 その発想に、男は笑みを浮かべる。似たようなものだからだ。 R-O(アール・オー)地区。 二十一年前の大災害の後、イギリスの奇特な大富豪によって買い取られた不思議な街だ。 結果がすべて、という意味のその街には、大勢の技術者や芸術家が住んでいる。五年に一回の厳正な審査を経て、結果を出すために日々生活しているのだ。 皆、結果の向こうに待つ輝かしい未来を夢見ているのだろう。 それはそれで結構なことだ。 男は既に、その未来を手に入れていた。 しかし、今欲しいものも結果だった。それらの結果は、いずれ手に入るだろう。私がまいた種は、まさに今、芽をふき始めているはずだ、と彼は思う。 ふと、時刻を確認した。 既に、かかりつけの医者に決められた就寝時刻をオーバしている。 それに気づいたからか、身体が疲労感を思い出したように、だるさを感じた。 そろそろ帰らねばならないだろう。若い頃は、平気で徹夜できたのにと、昔を思い出して苦笑する。 男は、窓際から離れた。身体から僅かな光が滑り落ち、闇に包まれていく。 柔らかい絨毯の上を歩き、その先にあるはずのドアを目指した。 彼は、必然と偶然によって動かされている彼らを思った。美しい偶然、完璧な必然に彼は心躍った。彼は美しいものを愛していた。それらは、順調に成長しているだろう。 そして、結果が実ったら、後は刈り入れるだけ。 その後、種は必要ない。 いつもの歩数分進んで立ち止まると、小さな電子音とともに扉がスライドして開いた。 隙間から、即座に光がなだれ込む。 男の顔に、しわの陰影を形作った。 2 あいつに誘われて、一緒に映画を観に行った帰り道だった。弟も一緒で、そのことが少しだけ心を落ち着かなくさせたが、それでも気分は上々だった。 映画の内容は覚えていない。 あいつと一緒にいられるということだけで、舞い上がっていたのだと思う。 上映中の暗闇の中、まるで二人の意識が溶け込んでいるように思えて、それだけで安心できた。シートが一人分離れてしまったが、そのおかげか、彼の横顔をちらちらと覗き見ることができた。スクリーンの光に照らし出される横顔は、またいつもと違った印象で、どきどきした。映画のワンシーンごとに、笑ったり、眉をひそめたり、真剣になったりする様子は、可愛いとさえ思えた。 密かに、好きだった。 もちろん、あいつはこの気持ちに気づいていないと思う。 あくまで幼馴染、友達、クラスメイトの範疇を超えない。 仮にこの気持ちを伝えても、あいつを傷つけることになりはしないかと思っていたのだ。 いや、単に、あいつとの今の仲が壊れてしまうことに怯えていたのかもしれない。 とにかく、あいつが幸せであればそれでいいのだ、と思えた。あいつの笑顔が好きだったし、それが見られるだけでも幸せを感じられたからだ。 楽しそうに映画の感想を話すあいつを見ながら、笑みを返す幸せ。 でも、あいつは、弟と話す時の方が、より楽しげに見えるのだ。 錯覚かもしれない。嫉妬かもしれない。 しかし、時々、思う。 弟がいなければいいのに、と。 今だって、弟がいなければ、一方的な思いではあるが、まるでデートみたいになるのに。 弟がいなければ、あいつの目をこちらに向けさせることが簡単にできるのに。 だが、そんな感情を表に出すことはない。 あいつは、あくまでも「友達」なのだから。 曲がり角に差しかかった時、背後から悲鳴と怒号が聞こえた。 一瞬遅れて、何かが猛スピードで通り過ぎる。風がうなる。 鈍い衝撃音、そして誰かの声。 何が起こったのか、分からなかった。 トラック? 強風? ストリーキング? ただ、何かが恐ろしい速さで通り過ぎたのだということしか分からない。 脳みそが、この状況の速さに追いつけなかった。何かが通り過ぎていった彼方を、ぼんやりと眺めながら立ち尽くすほかなかった。 その時、あいつの短い叫びが、背後から聞こえた。 驚いて振り返る。 人が倒れていた。あいつがそこに覆いかぶさるようにしゃがみ込んでいる。肩を揺さぶっているようだ。 あいつが、短い言葉を叫びながら、身体を揺する。何度も何度も。だが、揺すられるその身体は、何も反応を示さなかった。 あいつの肩が、震えているのに気づいた。泣いているのだろうか。何故か、このまま放っておいたら、あいつが壊れてしまいそうな気がした。思い切って、しゃがみ込んでその肩に触れる。震えは止まらなかった。 そして、見た。 倒れていたのは、弟だった。 目と口を中途半端に開き、そのままの表情で停止している。アスファルトと後頭部の間には、おびただしい量の血溜まりができていた。今も、徐々に広がっていく。まるで、壊れた人形のように、細い四肢を投げ出していた。 何故、すぐに気づかなかったのだろうか。 突然の出来事に頭が追いつかなかった? あいつのことばかり見ていたから、弟の服装を覚えていなかった? それとも……、いなくなればいいと願ったことを、帳消しにしたかったから? だから、本当は気づいていながらも、無意識に気づかないふりをしていたのだろうか。 あいつは、ついに無気力にうなだれて、何度も何度も叫んだ言葉を小さく呟いた。 その短い声が、自分の耳にこだまする。 「ユイ……」 そして、あいつの弟は死んだ。 徳口は、そこで目が覚めた。 この夢を見たのは、何年ぶりだろう、と思う。そして、ひどく寝汗をかいていることに気づいた。枕もとの気温の表示では適温に設定されていたが、少し温度を下げた。 窓のカーテンは開いていて、明るい朝の日差しが差し込んでくる。 ベッドから降り、スリッパを履いて、キッチンへ向かった。脱水症状か、少し足許がふらつく。 シンクの蛇口をひねり、冷たい水で顔を洗った。タオルで顔を拭き、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出す。冷えた水を、渇いたのどへ一気に流し込んだ。 そこへ、扉の開閉音がした。振り向くと、ショータが立っている。 昨日貸し与えた紺色の作業着を着ている。 「あの……、おはようございます」 遠慮がちな声だ。 その気持ちは分かる。一晩経ってみても、味方なのか敵なのか、まだ判断がつかないのだろう。 「今日も、荒地のところに行って来い。トールの件だ。人口筋肉と人工皮膚のチェックと、アフタケアだ」 そう伝えながら、徳口は戸棚からレトルトの味噌汁とご飯のパックを取り出した。 それらを電子レンジに入れる。 「仕事があるから、ついては行けないが、行き方は覚えてるだろ」 アンドロイドなら、初めて行った時の映像データが残っているはずだ。 ショータがうなずく。 伝えるべき事項がなくなり、不自然な静けさが部屋を満たした。 電子レンジはまだ動いている。 徳口は、自分が不機嫌だということを自覚していた。 原因はよく分かっている。今朝の夢だ。 あの日以来、何もかもが変わってしまった。 笑うことなど許されない環境で、黙々と作業をしていた。 あいつは、復讐するために。 自分は……、あいつの笑顔をもう一度見るために。 あの日々は、荒んでいて、繊細で、狂っていると言ってもよかった。ちょっとした気の迷いで、簡単に崩れてしまいそうだった。だが、あいつのために生きている、ということを、幸せだと感じていたかもしれない。 しかし、その反面、あいつの弟が死んだことが、自分を苦しめていた、と徳口は思い出した。 「いなければいいのに」などと、願わなければよかった、と。 そんなことを思わなければ、もしかしたら、違う未来が開けていたかもしれない。無論、そのことがあいつの弟の運命に、実際的に影響をおよぼすとは思えなかったが、それでも、叶わぬ淡い望みを抱かずにいられなかったのだ。 そのことだけが、悔やまれて仕方がない。 弟思いの兄としても、あいつのことが好きだったのに。 3 「これなんかどうかしら」 雷天が、オレの身体にTシャツを押し付けてくる。 鏡を見ると、ペンキをかぶせられたような自分がいた。 「ちょっと、派手なんじゃ…」 「あらぁ、若いんだから、それくらいビビッドな方が映えるわよ」 徳口や荒地と違って、表情にメリハリのある雷天のしぐさに、少し戸惑ってしまう。 光麻酔で眠らせたトールを、荒地の店『sole』に送った時、ばったりと雷天に会ったのだ。雷天いわく、徳口に頼まれていたものができたから、トールのメンテナンス中に取りに来て欲しい、ということで彼の自宅に連れて行かれたのだ。 確かに、昨日の夕方頃、徳口から何かを頼まれていたようで、妙に嬉しそうな顔をしながら帰って行ったのを覚えている。 頼まれものとは、服だった。 雷天は、ファッションデザイナらしい。自分の店も一応持っていて、吉祥寺にあると話した。海外進出を睨んで、このR-O地区に移り住んだと言った。 「アール・オー?」 知らない単語が出てきたので、オレは聞き返した。 雷天が大げさに目を丸くする。 「あたしたちの住んでる、この地区よ」 「新宿?」 「そうね…。大体、コマ劇場、アルタ、伊勢丹、マルイ、高島屋、それから二丁目があったあたりが、今のR-O地区よ」 「他は?」 「瓦礫」 そう言って、雷天はため息をつく。 そもそも、この地域は何故、こんなにも大規模に破壊されているのだろうか。 徳口に連れられて初めてここに来た時も、秋葉原とのあまりの印象の違いに驚いたものだ。 オレはその点を尋ねた。 すると、雷天は更に更に深いため息をついて、それからオレの目を見た。 「今から大体二十年くらい前に、隕石が落ちてきたの。 当時、気象庁とかNASAとか、そういったところが、地球の軌道上に隕石の軌道が重なっていて、一年後にぶつかる恐れがあるって発表したのよ。 その時は、相当パニックになったわ。今でも覚えてる。毎日毎日テレビで特集されて、落下時のシミュレーションも何度も見た。 行きつけのお店のママは、オカマは生命力が強いから平気とか言っていたけど」 そう言って雷天は笑った。 「とにかく、そうして一年が過ぎて、ついに落ちてきたの。 もちろん、事前に周辺地域には勧告を出して、すべての民間人を避難させたし、自衛隊の迎撃ミサイルを使って、被害を最小限に食い止めようとしたの。 その結果、隕石は二つに砕けて、その二つが衝突したのよ。 新宿六丁目あたりに小さいのが一個、新宿御苑に大きいのが一個ね」 「それで、こんなになったんですか」 「そうよう。 小さいのが、って言ったけど、小さい方でも直径二百五十メートルくらいはあったみたい。大きいほうは五百メートル。 かろうじて新宿駅が無事に残ったくらいだったのよ」 オレは、その光景を想像してみた。 空気と摩擦を起こしながら、轟音を響かせ地上へ向かう巨大な石。地面へ近づくにつれ衝撃波が巻き起こり、それだけでも周辺への被害は大きい。そして、衝突。衝突地点の建物は跡形もなく潰され、周辺のビル郡もまるでクラッカのようにあっけなく砕けていく。 「つまり、まだ復興していない、ということなんですね」 この現状を見ればそういうことだろうと思う。 だが、雷天は首を横に振った。 「二〇一二年の大災害の後、政府は困ったんだと思うわ。 何せ、主要都市の大部分が自然災害で破壊されてしまったわけだし。でも、復興には長い年月とお金がかかる。 そんな時に、イギリスの変人が、被災地の一部を買い取ってアーティストとエンジニアのための街にしたいって言い出したの。 もちろん、当時は相当、反対されたりしたわ。でも、日本政府はあっけなくそのイギリス人に売っちゃったのよ。 そうしてできたのが、このR-O地区ってわけ。 この地区に移り住むには、厳正な審査と試験があってね、結構大変なのよ。それでも、生活費以外のお金は向こう持ちだから、魅力があるのよね。ほら、シュウちゃんやタディのところにあるポッドも、設備費として落とせるのよ」 「タディ?」 「やーねぇ、荒地君のことよ。 タダスって名前でしょう? 小さい頃からタディって呼んでたの」 そう言って雷天は片目をつぶって見せた。 「小さい頃から?」 「あら、言わなかった? シュウちゃんともタディとも、幼馴染なのよ、あたし」 しかし、雷天はそう言うと、大げさに肩を落とした。 「でもねぇ、二人ともあたしのこと覚えてないんですって。失礼しちゃうわよね。 まあ、あまり昔のことを思い出されるのも、恥ずかしいものだけどね……」 顔を赤らめた雷天に、オレは苦笑を返す。 ふと、徳口や荒地も、昔はどういう子どもだったのだろうかと考えた。昔から、あんなに無口で不機嫌そうだったのだろうか。仮に今のままだったとしたら、こんなにもよくしゃべる雷天と、うまくいったのだろうかとも思えてしまう。 と、雷天がオレの背後に視線をやって微笑んだ。 「あら、いらっしゃい」 誰かが来たようだ。 しかし、オレには関係ないだろう。それに、無闇に関わって、オレがアンドロイドだとバレてしまったら、ややこしい事態になるのは目に見えている。 「おい」 少年の声だった。 声だけ聞くと、どう考えても雷天より年下ではないだろうか。ずいぶんぞんざいな口を利くなあ、と思いながら、早く用件が済んでほしいと思ってじっとしていた。 いきなり、肩をつかまれた。 雷天ではない。つまり声の主だ。 オレはびっくりして声を上げそうになった。もしや、もうバレてしまったのだろうか? 冷や汗を感じながら背後を振り返ると、そこには案の定、見知らぬ少年が立っていた。 小柄だが、ほどよく筋肉がついた身体はしなやかだ。その身体にぴったり張りつくような、ダイビングスーツのような服を着ていた。上半身は袖がなく、下半身は膝から下が何もない。それ以外は真っ黒だ。 「お前、ショータって言うのか?」 少年が口をきいた。 彼の視線は、睨むように鋭い。 「メンテナンス終わったから、とっととあのガキ連れて帰れよ」 メンテナンス、ということは、トールのことだろうか。ガキという言い方に、オレはムッとした。 少年はそれだけ言うと、くるりときびすを返して、ドアの外へ出て行ってしまった。 オレは雷天に向き直る。 トールをガキと呼ばれたことについて、まだ軽い怒りを覚えていた。 「誰です、あれ」 つい、聞き方もぞんざいになってしまう。 雷天は、そんなオレに、何故だか切ない笑みを浮かべた。 「ユイ君よ」 |
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つづく… wrote by MooPong |
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